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休日

だが仕事は相変わらず入っている。仕事がなければ写真を撮りにいく。仕事があっても写真を撮りにいく。もはや病気状態に陥っている。カメラを持っていない時の症状は頭痛・不安・絶望・悔しい(いい風景が見えてくる)・下痢(なぜか)・右手と左目の痙攣などなど。家のお医者さん(娘)の診断は「もう脱却できないね。救いようがない!」とのことだった。おまけに診断料を徴収された。やれやれ。 自分の現実を加工する、変化させていく、あるいは化学的に工作する。自分の周りの人に訊くと受身系のもの「見る・読む」は大得意だが何かを作り出すは不得意だそうだ。もちろん見るのも、読むのも積極的な姿勢をもったら受身の作業にならなくなるが、おそらくそれをしている人は少ない。今自分の右隣の二人のおっちゃんたちは楽しっく会話をしている。ホームページの話まで飛び出している。ベージュ色の帽子を肩に掛ける鞄は膝の上に、両手は両方のものを丁寧に持っている。その帽子の向こう側には、超ミニスカートの濃い化粧の、肩にゆらゆら流れる美しい金髪の髪形の若い女性が立っている。電車の窓の外、中学生の野球の練習がチラッと流れた。十三駅で、停車中、プラットホームの反対側には着飾っているお坊さんが目立つ。電車の中にいるとなかなかボケてられない・鼻血も出せない。 先ほど、梅田のニコンサロンで、大阪芸術大学写真学科の卒業展を見に行った。去年に引き続き、一人の学生、小山あんりさんの写真・絵がとても気になってまた土曜日にその人と絶対の会いたいと思った。去年も彼女ともう一人の学生の写真が非常に気になっていた。今度の土曜日時間がないけど10分ほどだけでもあんりさんともう一度話を聞きたい。なぜだろう。人間の匂い、どろっとしたものを感じたかもしれないから。とても深いの何かが見えた。去年の彼女たちの写真は大きく伸ばされて絵画に使われているような金キラ金に飾られて印象深かった。写真の色と光と影ははっきりしていた。今年のあんりさんの作品は6個の小さな学に入れられていて、ガラスの後ろにぶやけていた。その下にベージュ色の布うがあった。何か、彼女の中の大きな変化が起こったのか、とにかく知りたい。 自分の写真、ヴェネツィアの水の反射の写真を、友人二人・・ 突然な中継:阪急電車の京都行きの特急の中、先ほど赤・オレンジ・金色そして空色の模様の着物姿の若い女性が乗った。眩しいくて・暗闇の中の灯台に見える。着物のお陰か若い女性のおかげか。どちらもだろう。中継終了。 友人二人にその写真を見せて再び評価された。それぞれの好きな写真はやはり多くの人が以前に選んだ写真だった。選択の理由の説明もしてくれた。言葉も似ていた。あんりさんのような写真の深さを私は全く感じない。薄いほどだ。自分の新たな展開に繋がるような気がする。 夕方、写真の意見・感想をいただくために着物鶴まで行って、ラッキなことにたくさんの着物姿の素敵な女性いて、色んな意見をいただいた。毎日着物をして、鮮やかな色と模様に慣れている女性の意見はとてもためになった。これで長い一日が終わった。   Giorno di festa, giorno della cultura. Molte persone per la strada soprattutto nel centro città sia a Osaka che a Kyoto. Questa mattina sono stato a Osaka per una lezione e ho … Continue reading

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