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専業主婦・Casalinga

授業中、文法の練習と会話の展開の中で生徒さんの興味の引くテーマが思わずよく出る。今回はcasalingaだった。ラテン語のcasa「家」の由来だ。日本語だと専業主婦、英語だとhousewife。由来は大事だが、時代とともにこの言葉の概念を微妙に又は大胆に変わったりする。70年代以降、女性運動によって「束縛、強制、牢屋など」の意味が加わったと思う。感情的な要素が入って、社会の中の地位で「下位」にあると思われていた。仕事をしたい女性は社会基盤を狂わせて良い刺激になった。「子供をどうするの?」という質問が自然に出てくる。子供の教育や育ち方、その子供は家族の中の一員として「働いている母親」とともにシフトしてきた。子供は大事な存在であるが女性が仕事をしたい。そこで男性の立場の更新をせざるを得なかった。共働き。その分「子供を作る」か「子供を作らない」はいつまでも女性の決定権範囲にある。裕福な家族だったら専業主婦はありえるがそれ以外が全く考えられないことになっている。それは現在の社会である。ここまで、授業中に出た内容(プラスα)だった。 Casalingaの仕事、またはcasalingaであることの意味を論じてみたが「仕事」と「役割」、この二つの概念を区別するのがなかなか難しくて、最後まで区別ができなかった。「Casalingaとして家族には役に立たない」の発言もあって、「それは違う絶対不可欠だ」の発言もあった。 生徒さんの中に、専業主婦の方は多い。その中でほぼ全ての方は家族のために、家族が好き、家族を思うから頑張っている。自分の役割を果たしている、又は果たした。その中で、自分の役割が自然に更新されて発展していることに気付いた方もたくさんいる。「40代になって、振り返ってみたら道ができていた、それを確認してとても満足した。これから毎日のことを一所懸命したらいいと思った」は友人の一人の言葉。深い。名言にしたいぐらい、考えさせている。 イタリアではmammaはO sole mio、いわゆる家族の太陽、全員は太陽の周りを回っている。家族を暖めて、元気付ける中心的な役割である。それに肉的にも精神的にも強い。 再び、このテーマをクラスで展開してみたい。 Giornata lunghissima ma corta a causa delle poche ore di luce, a differenza dell’estate. A Kyoto ci sono molti turisti che vanno in giro per i templi a vedere le bellissime foglie rosse … Continue reading

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